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夢のような生活

  
 
 ふと、夢のような生活なんだな、と思いました。
 仕事が終わってからのんびりおやつを食べながら勉強をしていて、しみじみと楽しいなぁと思ったときに。
 時刻は19時過ぎでした。周囲には楽しそうにお喋りをしている若い子たちが居て、暖房の入った部屋は暖かく、私は一人で座っていたけれど寂しくはなくて。
 朝10時から夕方5時まで、6時間ほどのデスクワークの仕事だし、さほど家事をしているわけでもないし、そのあと2〜3時間勉強をするのなんて世間的には大してすごくもない普通のことなのですが、仕事だけでも疲れきって精一杯だった頃から考えればなんだか奇跡のような気がします。
 職場で楽しく仕事ができて、色んな素敵な人に囲まれていること。お昼休みは楽しい話をしながらたくさん笑えること。仕事が終わってもまだ勉強するだけの元気があって、一週間それを続けられる体力があること。そうしても倒れて寝込んでしまわないこと。もちろん時々は体調を崩すことがあったとしても、大抵は土日も普通に過ごせること。
 帰ってからは家族と仲良くとりとめのない話をしながらおいしいご飯を食べて、犬をなでなでして、少し家事を手伝ったり筋トレをしてみたりして、夜はゆっくりと過ごして好きな人と電話をしてから眠る。
 そして朝、日によって起き辛かったりもするけれど、きちんと目覚められること。身体中が痛かったり微熱があったりどうしようもない倦怠感で動けなかったりしないこと。気持ちが沈みこんで少しも気力が出ない、憂鬱でたまらなくてどうしてもやる気が出ない、なんてならないこと。
 人の中を一人で歩いていても怖くないこと。自分が嫌いではないこと。時々自信をなくしたり辛くなったりしても、少し経てば大丈夫だと思えること。四六時中自分がここにいてはいけない存在だと思わなくてもいいこと。誰かの時間を奪ったり迷惑をかけているのだといちいち考えてうつむかずにいられること。自分がもっと完全だったらなんて思わないこと。少しずついろんなことをわかるようになりたいと思うし、なれるだろうと思えるようになったこと。
 ずっと昔にたった一人で震えながら「こうだったらいいのに、でも自分にそんなものがふさわしいわけがない」と思っていたことが、全部気がついたら当たり前のことになっていたんだな、と思ったのです。
 

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| こころのこと | 23:54 | comments(3) | trackbacks(0) | pookmark |
自分を虐待する私たち

 
 自分を好きになるってどういうことだろうと、ここのところずっとずっと考え続けています。
 
 
 以前はそんなこと考えもしなかった。というより、出来る気がしなかった。そんな日は絶対に来ないだろうと思っていた。想像さえできなかった。この世で自分が一番嫌いだったし、許せなかったから。
 嫌なことが起きたりなにか失敗したときには、自分が至らないせいだと思った。自分の不完全さにふさわしいものごとがやってくるのだと。
 あたたかいことや良いことを見かけると嬉しかったけれど、その対象が自分だと不安になった。いつか何かの拍子に、自分には分不相応だということが露呈して、取り上げられてしまうのではないかって。だってそれは誰か他の、受け取るに相応しいきれいでやさしくてりっぱな人々のところにいくべきなのだから。
 いちばん最初はいろんな人のことを妬んでいた。嫌いになった。自分にないものを持っていて眩しかったから。はじめから自分より条件のいいところにいて、なんでも楽に手にしているように見えたから。
 あるときそれに気がついてうんざりして、自分から悪意をそぎ落とそうと努力するようになった。少しずつ向き合うことで敵意は薄らいでいったけれど、自分への否定だけはいつまでも残っていた。周囲を眩しく思えば思うほど、自分の足りなさがよく見えた。
 
 だから、せめて人に迷惑をかけないように。
 誰の負担にもならないように。
 ほんの少しでも善い存在でいられるように。
 息を詰めて、身体を縮こまらせて、耳を澄ませて、張り詰めるように暮らしていた。
 でも自分があまりにも不完全で至らないせいで、なんの能力もないせいで、美しくもなければ賢くもないせいで、思いやりが足りないせいで、気が利かないせいで、つまらない性格のせいで。体力がない、声が小さい、世間話が出来ない、特技がない、ものを知らない、未成熟、……
 自分が足りないせいで、なにかを台無しにしてしまうのだと、信じていた。
 他人の至らなさも不足も全部やさしいものに見えるようになったのに、自分の欠けている部分だけはずっと許せなかった。
 世界から弾かれていて、それで当然なのだと思っていた。その内側に参加する資格なんか生まれつき持ってなかったんだって。
 ずっと長いこと。
 16の頃からつい最近まで。
 一番いいにおいがしただろう、きらめきに溢れていてもおかしくなかった10年の間ずっと。
 

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| こころのこと | 23:30 | comments(9) | trackbacks(0) | pookmark |
あなたがあなたにやさしい世界

13歳のとき、幼馴染の女の子が拒食症になった。
中学に上がるのと同時に北陸から九州へ引っ越した私の家へ、中学の最初の冬休みだったか、彼女は一人で遊びに来た。高速バスに乗って。

最初に会ったとき、随分と痩せたな、と思った。
少し大人しくなっていてご飯もあまり食べたがらなかった。
一緒にお風呂に入ると彼女の身体にはあばら骨と背骨がくっきりと浮き出ていて、「骨ってこんな風に見えるものなんだ」と不思議に思ったのを覚えている。
でも十三歳の私にはそのことの意味がよくわからなかった。
彼女は「肌にいいんだよ」と出されたはと麦茶をとてもたくさん飲んで、私がお正月に買ってもらったばかりの少し高い靴(先が丸く膨らんだかわいいぺたんこ靴)を見せたら、「履いて歩いてみたい。貸して」と言って、その靴を履いて近所を歩きに行ってしまった。
人の靴を履きたがるという感覚が私にはよくわからなかった。自分のものになるわけじゃないから。でも不快ではなかったし、それについて深く考えはしなかった。
夜は私の部屋のベッドで一緒に眠り、電気を消してからいつまでもお喋りをしていた。私はいつものごとく家族の面白い話なんかをしていたのだと思う。「いいなぁ」と彼女は言った。「あやの家ってなんだかホームドラマみたいだ」
実際のところ、そんなに整った家庭ではなかったと思う。まだ精神の幼い私は、身の回りのいい部分ばかりを抽出してわざわざ人に自慢するような癖があったから。でも自分の持っているものが最高のものだと思えるというのは、きっと随分幸せなことだったはずだ。それが眩しく映ったんだろう。

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| こころのこと | 20:41 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
食べること、食べないこと

食べることも、食べないことも、同じくらい価値がある。



食べものをうまく食べられなくなった時期があります。
マクロビオティックを始めてから三年目くらいの頃でしょうか。

二十歳になっても私の体調はまだまだ不安定で
なんということもないのにめまいがして動けなくなったり、
無気力になって寝込んだりしていました。
毎日、自分を良くしたくて、良くなりたくて、必死でした。
そのためにできること。
毎日をストイックに積み上げていくこと、だと思っていました。
食べものを良くしていくことで身体を強くすれば
いろんなことが解決するんじゃないかと思っていたのです。

もちろん、ストイックになること自体は悪いことではないのだと思います。
でも一番根本的な部分に
「そうしていないと自分は駄目な生き物になってしまう」
という気持ちがあると、そういう生活はいつしか「取引」になっていきます。
「今日これを成し遂げられれば私は善い生き物になれる」
「でも、できなければ失格だ」と。
そして越えられる筈のないハードルに毎日つまずいて、
毎日自分を否定することになるのです。

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| こころのこと | 22:00 | comments(4) | trackbacks(0) | pookmark |
心と、身体と

自分の身体について、病気について、少しずつ書いてみようと思います。

書いてみたいことはたくさんあります。
恐らくは、伝えた方がいいこともたくさん。
ただ、経験の質も、量も、私の拙い脳みそで捉えるには
あまりにも複雑に込み入っていて、輪郭が曖昧で。
全体を見渡すことがとても難しい。

何かひとつのわかりやすいストーリーがあればいいのに。
いつもそう思います。
わかりやすい始まりとシンプルな骨組み、そして華々しい結末とカタルシス。

でも人の体験の多くがそうであるように、
私が見てきた(と思っているもの)もまたそんなふうにはできていません。
たくさんの糸が、それぞれ複合的な意味を含みながら束ねられていて
それを解説するにはひとつの観点からでは足りない。
と、直感的にそう思うのです。
その一部分だけを中途半端な言葉で切り取ってしまうと、
一番肝心なはずの本質を損なってしまうのではないかと
どうしても躊躇してしまう。

だから、一度に全部を書くのではなく、少しずつやってみます。
断片的なものの連なりであっても、
試みないよりはマシなのだろうと。

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| こころのこと | 22:10 | comments(6) | trackbacks(0) | pookmark |