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テレビを離れた理由。

森達也さんの「メメント」を読んだ。
有名な方ではあるけど一応注釈すると、森さんは映画監督。
(映像作家、というべき?)
元々はテレビでドキュメンタリーを作っていた方で、
「A」というオウム真理教を扱ったドキュメンタリーを撮影中に
テレビ界から追い出されて、映画として発表した方。
「A」はぜひそのうち見てみたいと思いつつ未視聴。
ちなみにYoutubeで彼のドキュメンタリー
「職業欄はエスパー」「放送禁止歌」を視聴できます。

メメント・モリ=死を想え、
の言葉通り、「命に関して考える」という広いテーマを扱ったエッセイ。
テレビの世界にどっぷり浸かっていた方なので当然だけど
内側からの「メディア論」が随所に顔を出す。
最近の原発の報道などを思いながら興味深く読んだ。
それで、テレビについて思うことを色々。あまり本の内容には関係ないこと。



「テレビは加算のメディアだ」、と森さんは言う。
素材だけでは足りない。視聴者の注意を引き付けておけない。
だからBGMを使う。大仰なナレーションを入れる。クイズを使う。
スタジオにタレントを呼ぶ。スタッフの笑い声を入れる。
とにかく隙間なく、足せるものはすべて足していく。
だからテレビのうるささというのは普通ではないのだと。

テレビを見なくなったのはいつからだろう。
元々、夕食時はテレビを見ないように躾けられていた。
同級生が見ているアニメなんかは普通に見せてもらっていたけれど、
チャンネル権はいつも父親にあったし、父が見ていたのは
大概はニュースかドキュメンタリーばかりだった。
そのせいでテレビ離れが進んだのかと思ったけれど、同じように育った兄は
わりとテレビを見ている方だと思うので、環境のせいだけでもないだろう。
そう考えていて、思い出した。
私はある時期にはっきりと、テレビを見ないことを選択したのだ。

たぶん中学生くらいだと思う。
テレビのバラエティ番組に違和感を覚えるようになった。
「やりすぎている」と思えたのだ。
書いていてうまく伝わるかどうかわからないのだけれど、
昔のテレビにはもう少し、「節度」みたいなものがあった気がする。
たとえばお笑い芸人やタレントが他の誰かを「いじる」としても、
あるいは何か「ドッキリ」的なイベントを企画するにしても、
「ここまではいいけど、これ以上は駄目だよね」って規範みたいなものが
きちんとあって、安心していられた。
そこにはちゃんと「建前」があった。常識が存在していた。

でも気がついたら、そういう「建前」がテレビからなくなっていた。
「テレビだからこそしない」はずの行動がたくさんあったはずなのに、
「テレビだからやってもいい」行動に取って代わられていた。
確かにテレビの世界はどこか非日常だ。
それでも以前はもっと、テレビに出る人々というのは
日常と非日常の微妙な境目をうまく見極めて、
その線上から外れすぎないように行動できていたように思う。
それがいつの間にかなくなっていたのだ。
少なくとも私にはそう思えた。

「これを見ていたら、変なところが麻痺してしまう」と感じた。
テレビの内容は刺激的だ。人が「知りたい」「見てみたい」と思うことを
巧妙に選んで仕込んでくる。
たとえば美容整形を扱った番組。
下世話なドッキリ企画。
恋愛事をやたらと推奨するもの。
下品だ。気持ち悪い。でも見てみたい、という気持ちがないわけではなかった。
だって「見たい」と思うように作られているのだ。
それでも見ないことを私は選んだ。
そういうものが、単純に気持ち悪かったのだ。
好奇心よりも嫌悪感が勝った。
というわけで、元々見なかったけれど、ますますテレビ離れはひどくなっていった。

今もテレビはほとんど見ない。
たまに見ると、やっぱりバラエティには気分が悪くなる。
なんていうか、製作側の視点が、視聴者を「頭が悪い生き物」としか
見ていない感じがしてしまうのだ。
面白いものを見つけてきましたよ、
わかりやすく加工しましたよ、
ほら面白いでしょ? 笑えるでしょ? 興味を引くでしょ?ってな感じで。
お仕着せがましい。

表現というのはどうしたって、誰かの視点に頼って何かを切り取ってくるものに
なってしまうわけだけど、その「誰かの視点」があまりにもお粗末なのだ。
と言い切ってしまうと傲慢なのかもしれないけど、そう感じるんだから仕方ない。
何も倫理観の話じゃない。
いい悪いではなく、もっと人としての気品みたいなものの話だ。
こういう節度のないものを今の子供が「当たり前」だと思って
吸収していくのかと思うと、怖くなる。
たぶん目的が空虚なのだ。基本原理が視聴率に乗っかっているからだ。
「面白い」が空回りして増幅し、逸脱して暴走してる。
だからテレビを見るたびに危機感を覚える。「日本がヤバイな」って。


「メメント」に話を戻すと、やはり報道というのはコラージュなのだな、と思う。
当然のように発信側の偏りが反映される。
でもメディアというのは公共性が強い。
というより、公共性が強いものだと思わされている。
だから見ている私たちはそれが都合のいいコラージュかどうかを
あまり考えないようになってしまっている。
それが怖い。

今回の原発報道についても、人の意識には本当に開きがあって
「ちょっと行き過ぎじゃないかな」と思ってしまうくらい深刻にな人もいれば、
「もうちょっと考えたほうが…」と心配になるような人もいる。
インターネットはたくさんの情報を供給してくれるけど、
それの真贋を見極める作業は個人に任されている。
といっても、テレビだってそれは同じなんだけど。
でもマスコミ報道とインターネットの情報量のあまりの差に、
「これは本当に大丈夫なのか?」と愕然とした人も多いはず。

東西のニュースの差を比べた動画を見たけれど、
マスコミの人は本当に何を考えているのかますますわからなくなってしまった。
「メメント」でも、各局のニュース番組担当者の会議で
「数字が全てです」と言い切る担当者のことが書かれているけれど
(要するに、視聴率のとれるニュースしか流さない)
それが本当のことなのだと実感せざるを得ない。
ニュースがバラエティになっている。
そうさせているのは視聴者側である私たちでもあるわけだけど。

身内にマスコミ関係者がいるのにそんなこと言ってていいのか、と思うけど
私は基本的に、映像という表現媒体には一目置いているのです。
自分がインプットもアウトプットも文章寄りだからだけど、
映像のインパクトには目を奪われてしまう。
文章にはない強さと華やかさがある。
だからこそ、映像は怖い。
報道についてはきっともっとたくさん考えなくちゃならない。
メディアリテラシーなんて言葉は廃れてしまったけど、
まだ全然廃れさせちゃいけないんだと思う。
そういうことを自覚するのに、森さんの言葉は役に立つ。
報道において、何が当たり前なのか、そうでないのかを問いかけてくる。

原発について、考える機会をもらったのだから、
私は私なりの情報処理能力でもってできるだけ考えたい。
今はそんな風に思っています。


こういう「だからなに?」って文章は、
「思うさまに書いてみる」カテゴリに入ります。

| 思うさまに書いてみる | 17:50 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
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