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食べること、食べないこと

食べることも、食べないことも、同じくらい価値がある。



食べものをうまく食べられなくなった時期があります。
マクロビオティックを始めてから三年目くらいの頃でしょうか。

二十歳になっても私の体調はまだまだ不安定で
なんということもないのにめまいがして動けなくなったり、
無気力になって寝込んだりしていました。
毎日、自分を良くしたくて、良くなりたくて、必死でした。
そのためにできること。
毎日をストイックに積み上げていくこと、だと思っていました。
食べものを良くしていくことで身体を強くすれば
いろんなことが解決するんじゃないかと思っていたのです。

もちろん、ストイックになること自体は悪いことではないのだと思います。
でも一番根本的な部分に
「そうしていないと自分は駄目な生き物になってしまう」
という気持ちがあると、そういう生活はいつしか「取引」になっていきます。
「今日これを成し遂げられれば私は善い生き物になれる」
「でも、できなければ失格だ」と。
そして越えられる筈のないハードルに毎日つまずいて、
毎日自分を否定することになるのです。


当時の私の取引。
ストイックなマクロビオティック食を守ること。
よく噛んで、小食にすること。
規則正しい生活をすること。
怒らない、人に親切にする。
自分をコントロールできるようになること。

そんなことを二十歳の小娘が易々と実行できるはずもなく、
当然のごとくこの取引は毎日失敗していました。
いびつな行為だな、と今の私は思います。
でも当時の私には、それよりほかに自分を良くするための方法が
見つけられなかったのです。

食べものをコントロールしようとしすぎて、
それがもたらしてくれるであろう変化にすがり過ぎて、
いつの間にか「食べること」に気を張り詰めるようになっていました。
実際に、食べ物に対する過敏な反応はありました。
少しでもお砂糖が入るとめまいがするとか、
お酒を飲んだら翌日はひどく気分が落ち込むとか。
食事を切り替えてしばらくは、こういう反応が大きく出やすい時期が
続くこともあります。
(今はそれ程ひどくはないです。段々ととのってきます)

それでも、その反応に固執しすぎて、
少しでも「不純物」を身体に入れたくなくて、必死でした。
それは一瞬も気を抜けない自分の命綱のように思っていたのです。
寝たきり生活から回復できたのは食べ物を変えたお陰だったから、
そういう風になってしまうのは仕方のないことでもあったんですが。

元々思いつめる性質ではあるのですが、
ほとんど神経症みたいになっていたと思います。
家族が食べるものにまで口を出すようになって、煩がられたりして。


半ば摂食障害になりかけているのかもしれない。
そう思い始めたのは、
食欲のコントロールがますます難しくなってきてからでした。

欲求というのは不思議なもので、抑えようとすればするほど
不自然に暴発してうまく収められなくなるのです。
でも、「食べたい」と思う自分はなんだか薄汚れている気がしました。
透明ではないような。
それは不必要な欲なのに、いつまでもそれを捨てきれない自分が
間違っているかのように思ったのです。

でもどこかで、そういう自分への違和感もありました。
気がつくと、食べ物に善悪の区別をつけて見ている自分。
そして食べたいという素直な欲求を捻じ曲げている自分。
そうやって何かを否定し続けている自分。

マクロビオティックを実践し始めてから、
こだわりが強くなる時期は多くの人が経験すると思います。
何かを変化させるときには、そういう時期があって当然ではあります。
でもそれが自分そのものを破壊したり、
他人を攻撃するためのこだわりになっていたら、
何かが噛み合わなくなっていると思います。
他の物を否定するような「正しいもの」なんて、
ありえないのではないかとさえ思います。
マクロビオティックが偏屈で狭量なのではなくて
それに向き合う自分自身が偏屈で狭量だったのだと、
当時の自分を振り返ってそう思います。

私がその時向き合わなくてはならなかったのは、
「食べることはよいこと」という感覚を取り戻すことでした。
それはつまり、自分の欲求をそのままに認めるということ。

何かを「食べたい」と思う気持ちの何がいけないのだろう。
自分の身体が食べ物を必要としているのに、
どうしてそれを素直に満たしてあげることを「悪いこと」だと思うのだろう。
身体には食べることが必要なのだ。
それが今どんな風に捻じれて歪んでいても、
本来はごく自然で素直な欲求のはずなのだから。

それに何をどう食べていたって、私は私自身のはずなのに。



その頃から、少しずつ、食べたいように食べる「特訓」を始めました。
自分が食べたいものに、種類も量もなるべく丁寧に応えようとする。
そしてそれを悪いことだとは捉えないようにしよう、という訓練。
意識的にしかそれができないのなら、徹底的に意識的にやって
だんだんと習慣にしていくしかないと思ったのです。
それは「食べ方」を身につけていくプロセスでもあったし、
同時に、「欲求の受け入れ方」を獲得することでもありました。
食べ物だけではなく、生活のすべてにおいて。
食欲は、本能だとか、愛情だとか、
そういうものと強く結びついていて、
ひっからまっていた塊を解きほぐしていく必要があったのです。

身体はきっと、一番適切な量を知っている。
飢えているのなら食べたがる。
それと反対に、満たされたのなら「食べなくていい」と思う、はず。
たとえば食べることで体重が増えたって、
それは自分にとって必要な状況なのだと思うことにしました。
一番適切なバランスにたどり着けたのなら、
自分にとって自然なかたちに色んなものが変わっていくはずなのだと。


最近は、食べたいものを食べたいように食べています。
食べ物は生活のベースとして揺ぎないものではあるけれど、
以前のような一番の関心ごとではなくなりました。

食べることは心地よいことだし、
食べないことも同じくらい心地よいことです。
時に少し我慢が必要なこともあります。
それでも、我慢してでも「食べない心地よさ」選びたい時があるのです。
(そもそも食べないことを選ぶなんて、
それ自体がもう既にひどく恵まれているのですけど。)

時々つきあいなどでお砂糖が入ると、甘いものが癖になってしまって
なかなかやめられなくなることもあるのですが、
どうすれば少しずつそこから離れられるのかもわかっています。
そしてちょっと時間をかけて待っていれば、少しずつバランスは戻ってきます。
無理をしなくても欲求そのものが穏やかに変化して、
また「食べないこと」を選べるニュートラルなところに戻れます。
そしてそのニュートラルな場所にいることが心地よいのです。

そもそも、完璧で完成されたバランスなんかないのです。
身体は変化を続けていくし、感覚は常に流動するから。
食べたいものも必要なものもどんどん変わります。
必要なのは計算しつくされた完璧な指針なのではなく、
自分に必要なものを嗅ぎ取るための柔軟な五感なのでしょう、きっと。
そしてそこにたどり着くためのはじめの一歩として、
標準的な指針があるのです。恐らくは。


食べることも、食べないことも、
自分を満足させてあげるために必要で大切なこと。
食べ物というパワフルなツールは、それでも
飽くまでも生活のベースでしかありません。
食べることも楽しみつつ、
食べるよりももっと楽しいことをしていきたい。

今はそんな風に思っています。
誰にとっても、食べることがやさしく満たされることでありますように。

| こころのこと | 22:00 | comments(4) | trackbacks(0) | pookmark |
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| - | 22:00 | - | - | pookmark |
今回のブログの文章、とてもとても心に響きました。
私はまだ文さんのようにしっかりと食べることと向き合えません。
未だマクロビオティックや食べること、食べ物や日々の習慣、他人への接し方、生活の仕方まで、何かに捉われたままです。
いつか、文さんのように考えられるように、今は努力していかなくては…と思っています。
大事な文章を書いて下さってありがとうございます。(というのもおこがましい気がしますが。)
| ぽっぽ | 2011/07/26 4:46 PM |
>ぽっぽさん 
努力というか、意志の力は必要なのかもしれないですね。
でもそれは自分を追い詰めていく方向ではなくて、解放して受容していく方向のもののはずだと思うんです。
食べることと向き合えないこともそれはそれで今ぽっぽさんに必要なバランスなのだと思います。
誰にでもそういう「必要さ」ってあるはずです。
その意味をちょっとずつほぐしていけたらいいですよね。
| 文 | 2011/08/01 10:16 PM |
はじめまして。
いきなりのコメントですみません(>_<) 今の私が一番欲しかった言葉でした。ありがとうございました!
| えみ | 2012/05/16 9:53 AM |
>えみさん
はじめまして。随分前の記事ですが、読んでくださって、コメントくださって、こちらこそありがとうございます。
| 文 | 2012/05/19 11:10 PM |









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