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暮らしの効用



昔、部屋の掃除ができませんでした。
かなりのレベルの「汚部屋住人」だった自信があります。
そのことが本当にコンプレックスでした。自分は人並みなこともできない、女の子として最低、だらしなくてだめな人間だ…と。

整理整頓以前の衛生観念のなさで、布団の中でおやつを平気で食べるし、床は一度着てみたもののしっくりこなくて脱ぎ捨てた洋服と洗濯物とで埋め尽くされ、中学生になるとそこに教科書が加わり。机の上はものでいっぱいだから使うときには全部ベッドに移動させて、逆にベットで寝るときには机に移動させて…
二十歳そこそこまでそんな生活でした。
いくら親に怒られても直らず、親は親で手を出すといよいよ自分で掃除しなくなると放置するものの、自分に原因があるのではと「親業」という親としての勉強に手を出したり。
結局数か月に一度、ブチ切れた母親に死ぬほど叱られて、泣きながらゴミ袋片手に掃除をするのでした。

今思えば、掃除ができないのにはいくつかの要因がありました。

・衛生観念がない。
(汚くても平気)

・整理整頓を知らない。
(片づけにくいので結局出しっぱなしになり、散らかる)

・混乱しやすく、物事の優先順位が付けられない。

この混乱しやすい、というのが一番の原因であり、また初めからできてしまう人には理解できないものだと思います。
私はもともとADHDの疑いがあるほどで、小学生から過集中や授業中のおしゃべり、遅刻の常習犯。忘れ物ときたら病的でした。一日に十個以上の忘れ物をしていてついたあだ名は「忘れ物の女王」。
中学生になっても毎回資料集だの地図帳だのを忘れてきて授業のたびに先生に謝りに行き、そのくせテストの点数だけはそれなりに良かったので、先生によっては「自分を馬鹿にしている」と思うようでけちょんけちょんに嫌われたこともありました。こちらにはそんなつもりはなかったのですが。二者面談で母が「あなたの娘さんは人間じゃありません」と言われたこともあり「なんて失礼な」とかんかんに怒っていましたが、先生の方もまぁ大概腹に据えかねていたのでしょう。

脳の使い方に少し癖があったみたいです。
自分の情報処理能力が人より混乱しやすいと気が付いたのは、二十歳ごろのこと。
もともと人の意図がうまく読めなかったり、授業で「資料を元にまとめてください」と言われたときに「え、どうしたらいいの?」とぼかんとしてしまったり(でも周囲の級友は当たり前のように作業をしている)、思い当たる要素はいろいろあったのですが。
たくさんの情報が一度に入ってきたときに、それをうまく分類できない。
だから部屋を見渡した時に、混乱してしまうのです。
机、汚れてる。でも床も汚い。いろいろなものが落ちていて(洋服、本、ごみ、教科書、趣味のグッズ)そのどれも片づける場所が違って、ベッドもぐちゃぐちゃ、そもそも床の洋服には着てないからクローゼットに戻すものと、着てないけど床に放置しすぎて洗濯するものと、れっきとした?洗濯物があって……
判断するべきことが一度にやってきてしまうと、どれから手をつけていいのかわからなくなってしまうのです。
それもただ呆然とするだけではなく、本当に涙が出るくらい脳がいらいらしてうまく順序をつけられず、ただただ圧倒されていました。

それまでお菓子だの甘いものだのが中心でめちゃくちゃだった食生活を改善して、少しずつ細かい作業や落ち着いて考えることができるようになり、その過程で、自分が掃除に向かうときにこのような混乱状態にあるのだということを、初めて自覚できたのです。
そして、ひとつひとつ分解して出来ることからゆっくりと手を付けていけばいいのだと理解しました。
全部を一気に解決する必要はないのだと。
そうすれば情報に圧倒されなくて済むし、イライラして泣く必要もないのだと。

できる人には当たり前のこと、でも私には本当に初めての発見でした。
それから少しずつ掃除をするようになって、今はわりときれい好きの方だと思います。
というか、散らかっていると情報が多くてイライラするので、きっちり整理したりきれいにしている方が混乱しなくて済むと知っただけなのかも。


ざっくりとした収納しかしていないけれど、ものを分類したり、使う頻度に分けてよく使うものは身近に、頻度の低いものは奥のほうに…という基本も身につけられたように思います。


お気に入りの窓辺。
右下に見えるのがパソコンのディスプレイで、使うときにはテーブルへ。
この席が私の指定席なので、居心地をよくしたくてグリーンを置いています。
昔は枯らしっぱなしだった植物も、ちょっとずつ育てられるようになりました。
どれも100円〜300円で買ってきたものを増やしています。鉢やかごもほとんどが100均。
(左側は夫の趣味の栽培スペースで、アボカドの種やアイスプラントの水耕栽培?が…)

自分自身が気持ちよく過ごすために、お気に入りのものに囲まれて暮らすようにしています。
値段が安くても、高くても、一度買ってしまったものはしばらくは手元に残る(下手すると10年単位で!)と思うと、買うのには慎重になります。昔は衝動買いばかりしていたのだけれど。

最近は掃除が好きです。
散らかっていると落ち着かないし、掃除が終わると心も身体もすっきりするのです。
掃除ができるようになって、自尊心の低さが和らいだような気がします。
もちろんそこに至ったのは掃除だけの力ではなかったと思うけれど、
きっと、生活を営んでいるという実感が自分を少し支えてくれるのでしょう。
暮らしていく、という日々繰り返される営みは、少し気を緩めると崩れてしまうようでいて、実は多少調子を崩そうが時に手を抜こうが、強靭に連綿と続いていて。
自分にとって心地よい環境を作り出すという行為の中には、身体が新しい細胞を作り古いものを手放し捨てていくように、繰り返しのように見えて新しい循環があって、私を静かに支えてくれている気がします。

それが埃を払いごみを拾うとか、朝起きてカーテンを開けるとか、そんなささやかなことであったとしても。
| お部屋・掃除 | 17:00 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
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